出会いは唐突だった。
そう言えば聞こえはいいかもしれない。
だが誠哉にとってみればそんなものではなかった。
寝耳に水、その表現の方が相応しい。
彼女を見たときハッと息を飲んだのを覚えている。
見とれたのではない、体が恐怖で竦んだのだ。
あぁ、俺は知っている。
こんな風に触れたら火傷しそうな、それでいて強く人を惹きつける鋭い刃物のような瞳を持った人間を。





あひるのマーチ 〜家鴨行進曲〜

  <彼と彼女と>





中学三年の春。
最高学年となり、周囲が心なしか晴れ晴れとした面もちで校長の話を聞く中、
誠哉は憂鬱な顔をして桜を眺めていた。
あまりの退屈さに思わず欠伸が出る。
彼は珍しく寝不足だった。


「眠い・・・」


その原因はただ一つ、昨晩も兄がやらかしてくれたことにある。
羽山家ではお馴染みとなった天草刑事に連れられて帰宅した兄の姿は、血だらけ。
しかもそれが全て返り血で、本人は無傷。
彼に反省の色は全く無くて、
黙っているだけでこんなにも人を威圧できる奴が本当に高校生なのかと、誠哉は疑わざるを得なかった。
彼の兄の名は義政。
またの名を『北高の暴君』
その整った顔立ちから女に関しては引く手あまただし、
どんな札付きの悪でも彼が姿を見せれば腰を落とし道を譲る。
噂では、とんでもなく金持ちなマダムがバックについてるから、働かなくても暮らしていけるらしいだの、
もう既にその手の方々からお声がかかっているから、卒業後はすぐに幹部候補になるだのなんてことが囁かれる、
この辺ではよくも悪くもちょっと有名な人物だ。
当然、弟としては嬉しくも何ともない。
誠哉は彼のことを他人よりは側で見てきたつもりだが、未だによくわからない。
出来れば関わらずに生きていきたいのだが、一応は兄弟だからそうも言っていられない。
本当に喰えない奴だ。
にしたって、


「真夜中に帰ってくんな・・・」


口にしてしまってからハッと口を押さえた。
考え事に集中し過ぎて忘れてはいたが、今は間違いなく始業式の真っ只中。
慌ててつつ、しかし冷静に周囲を見渡す。
どうやら周りには気づかれずにすんだらしい。
誰かが誠哉の方に注目している、なんてことはなかった。
誠哉はほっと息をつく。
生憎誠哉には義政のような他人様に注目されても平然としていられるような図太い神経はない。
目立たず生きる、それが彼の信念なのだから。


「えぇ、以上で始業式を終わります」


その一言を皮切りに、生徒たちがぞろぞろと校舎に向かう。
皆一様に晴れ晴れとした顔つきで、互いに話したりど突きあったりしながら歩いていた。
思わず誠哉は立ち止まって、その光景を一人眺める。
漸く始まるのだ。
中学三年という一生のうちでも僅かな、けれど重要な一年が。
頑張ろう、柄にもなく手に力が入る。
そのことに気付いて、思わず自嘲した。


「らしくねぇや・・・」
「誠哉ー、置いてくぞ!!」
「あぁ、今行く」





* * * * * * * * * *





「ほら、席つけー」


担任が入ってくると、騒がしかった教室も少しは静かになる。
まだクラスに馴染めていないから余計だろう。
担任がなにやら挨拶を始めたのを後目に、誠哉はクラス全体をざっと見渡した。
誠哉の知る顔はクラス全体の3分の1といったところ。
同じ部活で仲のよい佐伯が既に居眠りを始めたのが見えた。
他にも去年や一昨年一緒のクラスだった奴をちらほら見つけた。
そして残りは見たこともない奴ばかり。
それもそのはず、この吾妻北中学の一学年のクラス数は10クラス。
一学年の人数は400名前後にもなるのだから、それを覚えろというのが無理な話なのだ。
ふと視線を教卓に戻せば、担任が挨拶を終えたところらしかった。


「よし、それじゃあ自己紹介始めるぞ」


その一言で再びクラスがざわつきを見せる。
馬鹿馬鹿しい、ただ自分の名前を言えばいいだけの話じゃないか。
誠哉は心底嫌そうな顔をして窓の外を眺めた。
校庭の桜は既に満開、太陽の光を受けきらきらと輝いて見えた。
サボることは好きではない誠哉にさえ、きっと今あそこで居眠りすればさぞ気持ちいいだろうと思わせた。
しばらくぼーっとしていると、佐伯が自己紹介を始めた。


「えぇっと、佐伯真太です
 テニス部部長やってて、誠哉とはタケウマの友です!!
 よろしくお願いしますっ!!」


莫迦が、それを言うなら竹馬の友だ。
誠哉は心の中でそうボヤく。
が、それがクラスにはウケたのか佐伯は拍手喝采を浴びていた。
やめてくれ、莫迦は褒めるとつけあがるんだ。
そう思うが誠哉は口には出さない、否出せない。
目立たず生きる、という彼の信念に反してしまう。
この後自分の番がきても佐伯が黙っていてくれることを祈るしか、誠哉にはできなかった。
そして誠哉の番が来る。
途端に「よっ、誠哉!色男〜!」なんて莫迦げた声があがった。
声の主が誰かなんて見なくてもわかるし、眉間に皺が寄っているのも、口元もピクピク痙攣しているのもわかる。
その表情を隠さずに、誠哉は教卓の前に立った。


「羽山誠哉と言います
 ちなみに、佐伯という莫迦とは・・・赤の他人です
 一年間ですが宜しくお願いします」
「ひでぇよっ、誠哉〜!」
「黙れ」


クラスに再び笑いが起きる。
あぁ、初日から目立ってしまった。
それもこれも佐伯のせいだ。
あいつが俺のことを喋らなければ俺は目立たずにこの場を凌げたのに。
席に戻ると仏頂面のまま、視線を再び校庭の桜に戻した。
隣にいた生徒が何やらからかいの言葉をかけてきたが、適当にあしらった。
あぁ、本当にいっそサボってしまいたい。
そうやってじっと外を眺めていたら、気がついた頃には女子の自己紹介が始まっていた。
ちょうど鈴木という女子が終えたところらしい。
そういえば彼女は去年誠哉と共に図書委員を務めた奴だった。
仕事が早くて助かったのを覚えている。
きっと誠哉が委員会に入るとしたら図書委員だし、その時は鈴木とまた一緒になるかもしれない。
それならそれで助かる。
それにしても退屈だ。
誠哉は下を向き目を閉じた。
その時だった。


「千堂左京といいます」


凛とした声が誠哉の鼓膜を震わせた。
瞬間、誠哉の喉がひゅっと音を立てる。
心臓が早鐘のように打ち、手にじんわりと汗が滲んだ。
一瞬にして空気が変わった。
まるであの男を前にしたときのような暗く重く冷たい空気に。
だがまさかそんなわけがない、あの男が、兄がここにいるわけがない。


「今年から吾妻北に通うことになりました、宜しくお願いします」


勿論教卓にいたのは兄ではなく、彼とは似ても似つかぬ黒髪の少女だった。
綺麗な顔に浮かぶ、人々を魅了する微笑みとは裏腹に、その瞳は恐ろしいほど冷たかった。
周りはそれに気付かず彼女に見惚れているらしいが、誠哉の背中には嫌な汗が流れていく。
恐怖、その感情だけが彼を支配した。
思わず立った鳥肌を抑えるように、ぎゅっと右腕を掴む。
もしかしたら彼女は兄同様、危険人物かもしれない。
席についた彼女をもう一度見つめる。
しかし、あの冷たさはいつの間にか消えていた。
彼は知らない。
この時感じた違和感が、彼女の闇の一端だなんて。
彼は知らない。後に彼女とは切っても切れない仲になるなんて。
これがこの二人の出逢い。










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後書き

長いので分けました。
相変わらずまだまだ続きます。