夢とか希望とか幸せとか。
そういう物からは無縁の世界で生きてたわ。
他の子がサンタクロースに望んだのが、お菓子やお洋服やお人形なら。
私が望んだのは自由。
歪んだ世界から逃げ出す翼だったの。
それをあなたは・・・いとも簡単にくれたけどね。





あひるのマーチ 〜家鴨行進曲〜

  <俺の知ってること>





夜も更けた頃、義政は一人書斎に籠もって執筆を続けていた。
部屋に聞こえるのは、義政が筆を動かす音だけ。
開け放たれた窓にはぽっかりと満月が浮かぶ。
珍しく静かな夜だった。
今日は義政の好きな『月の輝く静かな夜』
手に持つ万年筆もいつになく調子よく動く。
この調子で行けば、今月の原稿は締め切り前にあがるかもしれない。
一瞬だけちらりと月を見上げた義政だったが、
すぐに原稿に意識を戻すと再び手を動かすべく、愛用の武器・万年筆を握り直した。
だがそんな義政の決意を挫くかのように、突然義政の携帯が鳴り響く。
義政は時計に目をやってから、筆を置いた。
時刻は夜中の二時過ぎ。
常識人なら普通電話などかけてこない時間だ。
だが、義政は溜め息一つ零さず、鳴り続ける携帯を手に取った。
何故なら彼にはこんなことはよくあることだから。
だから、ディスプレイの確認すら必要ない。
この電話の向こうでは、愛しい彼女が肩を震わせ泣いているだろうから。


「左京、どうした?」





* * * * * * * * * *





玄関の閉まる音がした。
暫くするとバイクのエンジンを蒸かす音が聞こえる。
その音はすぐに、この家から遠ざかっていった。
誠哉は小さく舌打ちすると体を起こす。
せっかく寝付けそうだったのに、バイクのエンジン音で目が覚めてしまった。
まぁ、明日は遅出だから構わない。
枕元に置いた眼鏡を寝ぼけ眼をこすりつつもかける。
ベッドから降りると、極力足音をたてないように歩き、階下へと向かった。
和馬や英臣を起こすのには全くもって抵抗無いが、幼稚園児のうてなをこんな時間に起こしてしまうのは忍びない。
なんだかんだ言っても、妹想いのいい兄貴なのである。
暗い廊下を手探りで歩きながら、なんとか台所に辿り着く。
冷蔵庫から冷えたビールを一本取り出すと、月の見える床の間へと移動した。
偶には月を見ながら遅すぎる晩酌と行こう。
部屋のガラス戸を開け放つとより一層月が近づいて見えた。
プルタブを起こせば、ぷしゅっという小気味良い音と共に泡が零れる。
その泡を床に落とすまいと、急いで缶に口を当てて泡をすすり、そのまま一口飲み下す。
渇いていた喉に、冷たいビールが染み込んでいった。
缶を床に置くと、誠哉はじっと月を見つめる。
月夜は綺麗だ。
人を惹き付ける不思議な力がある。
しかし、誠哉はどうしてか月を好きだと思ったことはなかった。


「母さんが死んだのも・・・月の綺麗な晩だったか」


優しくどこか儚げだった母の面影を月に重ねながら自嘲的に笑った。
そして、ビールを月に向けて高々と掲げる。
俺は相変わらず元気だから安心してくれ、そう心の中で呟きながら。


「何してるんだ、誠哉?」


急に後ろから声をかけられた。
とっさに手を下ろし振り返ると、そこには目を丸くした英臣が立っていた。


「何でもねぇよ」
「嘘つくなって」
「嘘じゃない」
「大人気ないなぁ・・・」
「五月蝿ぇ・・・」


誠哉はそう言って鼻の頭を掻いた。
彼が鼻の頭を人差し指で掻く時は、大抵何かを隠しているとき。
本人すら知らないことに気づいている英臣は、苦笑するより他なかった。
きっとこうなったら何が何でも、理由を話さないだろう。
彼はカッコ悪いことは極端に嫌う。
誠哉はそういう男だ。
ある意味で羽山家の中では一番わかりやすい性格かも知れない。


「あっ、ビール飲んでるんだ、俺も飲もうかな」
「馬鹿を言え、医者を前にして未成年がそんなこと出来ると思ってるのか?
 ただでさえチビなのに・・・、余計に伸びなくなるぞ」
「・・・嘘だよ、そもそも俺酒飲んだことないし
 ってかチビって言うな・・・」
「お前にはジュースで十分だ」
「じゃぁ、俺がビール飲もうっと!」


いつの間にか和馬まで手にビールを持ってやってきた。
和馬はもう片手に持っていたジュースを英臣に放ると縁側に腰掛けた。
英臣も誠哉から少し離れたところに座る。
きっと彼らも先程のエンジン音で目を覚ましたのだろう。
揃いも揃って眠たそうな目をしていた。
月の明かりだけが降り注ぐ中、3人は黙って月を眺めていた。
飽きることなくただじっと。


「ところでさ・・・義政は、何処に行ったわけ?」
「あっ、それは俺も気になる
 義政って月に一・二度、こういう真夜中に出掛けるよなー」


長い沈黙を破り、口を開いたのは英臣だった。
彼の目線は相変わらず月に向かったままだったが、意識は誠哉の方に集中している。
それは和馬も同様だった。
如何にも興味津々といった雰囲気が見て取れる。
そんな弟2人を前に、誠哉は逃げ出したくなった。
彼は確かに義政の外出の理由を知っている。
言おうと思えば言える。
別にこの2人なら話しても大丈夫だろう。
他人に言い触らすような真似はしない。
しかし、世の中には身内の人間だからこそ言いにくい話というのが存在する。
今回は正にそれ。
確かにそれはいつかはバレることなのだ、義政の外出の理由も左京の過去も。
でもそれを自分が言ってもいいものだろうか・・・。


「さぁな・・・、外出の理由は俺は知らない
 ・・・2人の出逢いは知ってるけどな」
「「えっ?」」


図らずも同時に弟達から驚嘆の声が上がる。
誠哉が悩んだ末に出した答えは、思いの外、弟達の心を掴んだらしい。
2人が驚愕に目を見開いて此方を見つめていた。


「知りたいのか・・・?」


ニヤリとした笑みを見せると、弟達はこくりと頷いた。
うまく二人の気をそらすことができたことを知り、誠哉は胸をなで下ろした。
義政の外出の理由は話し辛いが、
2人の出逢いについてなら他にも知っている人がいるわけだから、バラしても大したことにはならない。


「・・・仕方ない、教えてやるか」


誠哉は気だるげにそう呟くと静かに話し始めた。











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後書き

別名、弟たちの井戸端会議。
長々と続きます。