昔から、あいつは飄々とした奴だった。
何があっても動じない。
右腕を骨折したときも 「腕が変な方向にまがっちゃったー」 と、笑いながら帰ってきたっけ。
あいつはいつでも笑っている。
麗しの左京さんはよく、あいつは俺に一番似ている、と仰ってくれるけど俺にはそう思えない。
だって俺はあいつのようには笑えないから。
だからあいつは俺には一番遠い存在なんだ。
あひるのマーチ 〜家鴨行進曲〜
<幼馴染って>
羽山和馬、20歳。
都内にある大学の二年生。
『大学行きたきゃ自分で稼げ』という羽山家の暗黙の了解のもと、
バイト傍ら勉学に励むという本末転倒も甚だしい暮らしを送っている。
自称・走る勤労学生。
そんな彼は今日もお忙しいようで。
修業のベルが鳴るや否や、荷物をさっさと纏めて座席を立った。
「和馬ー、秋川たちとビリヤード行くんだけどお前はどうする?」
突然かかった声に和馬は足を止め振り返った。
この羽山和馬という男、交友関係だけは上の二人に似ず広く、常に彼の周りには人が集まる。
運動神経抜群で、学力も上の2人には敵わないがそこそこよい。
高校の時はその天賦の才を生かし、各行事で大活躍し、『祭野郎』の異名までとった。
そして容姿はといえば、義政のようなモデル並みの甘いマスクでも、
誠哉のようなキリッとした美男子でも、英臣のような醤油顔でもない、ちょっと年上心をくすぐるベビーフェイス。
ともすれば、今まで付き合った女性は勿論年上ばかり。
「悪い、俺これからバイトだからパス!
また今度誘ってくれよ」
「おー、わかった」
ただそんな彼に欠点を敢えてあげるとすれば、兎にも角にも向こう見ずなこと。
とりあえず突っ走ってしまう性格なので、周囲としてはいい迷惑。
何の縁か、小中高大学と和馬と同じ学校に通っている幼なじみの上坂しのめは、その被害を一番被っていた。
「和馬、今日もバイト?」
「おう、そうだぞ!!
なんだよしのめ、不服そうな顔して」
「学園祭の参加団体代表者の話し合い、あんた出ないつもり・・・?」
「あ゛っ!」
「もうっ、しっかりしてよね!
義政さんや左京さんに言いつけてやるから覚悟しときなさい」
二人の周囲にいた人々は何事かと目を見張る。
それもそのはずだ。
上坂しのめと言えば、和馬と付き合っていると噂されているあの上坂しのめである。
白い透き通るような肌、長い黒髪を後ろで一本に結い上げたその姿は『大和撫子』ともてはやされる。
その彼女が今、目くじらを立てて和馬に詰め寄っていた。
普段のおしとやかで大人しい彼女からは全く想像がつかない光景である。
そりゃあ周囲の学生が何事かと目を見張るのも無理はない。
ところが、それを見た和馬の友人の野本だけはニヤニヤとした笑みを浮かべて近寄ってきた。
「ずーいぶんとお熱いことで」
「違ぇよ野本、そんなんじゃねえって!」
「嘘付け〜、噂になってるぜ?
『大和撫子』と『祭野郎』が付き合ってる、って」
「やめてよ、私は和馬なんかとは付き合ってないんだから」
「そーそー、今しのめちゃんがお熱なのは、せい・・・」
「皆まで言うなっ!」
しのめは叫ぶや否や、和馬のことをキッと見上げた。
身長が150センチとかなり低いしのめが身長175もある男を睨みつけても、
それは単に上目遣いで見上げているとしか思えなかった。
それを見慣れた和馬は兎も角、野本は思わず緩む口元を隠しきれなかった。
「うわー、上坂さん美味しいすぎるね」
「だーかーら、しのめには想い人がいるから無駄だって」
その途端、真っ白なしのめの頬が熟れきったトマトにも負けないくらいの赤に染まった。
余程動揺したのか口をぱくぱくと動かし、その瞳をぼれ落ちんばかりに見開く。
がすぐにまた和馬をキッと睨みつけた。
まるで機嫌を損ねた猫のようだ。
鋭い爪まであったなら、今頃ズタズタに引っかかれているに違いない。
「バカズマ!」
「あっ、それ言わない約束だろ!?」
「もー、あんたなんて知らないっ、学園祭実行委員から外してやるっ!!
和馬のバーカ!!」
怒りで顔を真っ赤にしたしのめはそう捨て台詞を残すと、足早に和馬たちのもとを去っていった。
周りで様子を伺っていた学生たちは、しのめに順に道を開けていく。
どの者も呆気にとられていた。
きっと余程予想外だったのだろう、あの上坂しのめの口から『バカ』という言葉が零れ出たのが。
残された和馬と野本も思わず顔を見合わせた。
「あれ、本当に上坂しのめ?
『大和撫子』と名高い、上坂しのめ?」
「うん、あれが上坂しのめ
小学校のときからあんな感じ」
ぽかんと口を開けたままの野本に和馬は苦笑するしかなかった。
「まぁ、お前たちが驚くのも無理ねぇけど、しのめって昔はかなりのお転婆だったぜ?
昔はよく俺と一緒になって結構無茶なこともしでかしたし・・・」
「例えば?」
「俺の兄貴の大事なバイクに勝手に跨って部品壊した」
「えっ、兄貴って・・・暴君の方?」
「うん、そっち
いやぁ、あの時の義政の怒りようといったら無かったね
俺、10歳にしてマジで死への恐怖を味わったから」
だがこの時死への恐怖を味わったのは勿論和馬だけ。
10歳の女の子を本気で叱りつけることは流石の義政にもしなかった。
ともすれば、怒りの矛先は全て和馬に向かったわけで。
相手が自分の弟であることも10歳の少年であることも全く気にせず、和馬に思いつく限りの苦行を強いた。
もしこれが幼児虐待の騒がれる昨今なら、義政は間違いなく犯罪者になっていただろう。
まぁ幸い、後にも先にも義政が弟相手にマジ切れしたのはこれだけ。
和馬はこうして捻くれることなく育ったわけだから、結果オーライといったところか。
「まぁそういう訳だから、しのめのことは諦めるんだな」
「ちぇっ、俺にもチャンスがあるかと思ってたのに、あの様子じゃ無理だよなー」
「そーゆーこと、あの子兄貴にぞっこんだから
それじゃ、俺バイト行くわ!」
「おい、委員会どうすんだ?」
「いーの、しのめは絶対俺を外しはしないよ
これでも俺、あいつことはちゃーんとわかってるから」
和馬はあっという間に小さくなる。
途端に教室内も静けさを取り戻した。
一人また一人と教室内から消えていく。
いつもと変わらない放課後の風景だ。
だが野本だけはそこに残り、一人明後日の方向を眺めていた。
口元にはなんともいえない微かな笑みを浮かべて。
「お前のそういう発言がしのめちゃんとの関係に誤解を招いてるんだよ、バカズマめ」
野本の呆れ混じりの呟きが、和馬に届くことはない。
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後書き っていうかただ単に、和馬の紹介がしたかっただけです。 しのめちゃんがお熱なのはあの方です、勿論。 |