俺はさ、こう見えても繊細な男なわけなのだよ。
それなのにさ馬鹿だ何だと罵られ、まして顔までしかめられたりしたらさ俺だって傷つくよ?
左京さん、俺達本当に恋人同士って言えるんですかー?





あひるのマーチ 〜家鴨行進曲〜

  <一日の終わり>





「ただいま」
「臣にぃおかえりー」


午後6時過ぎ、玄関を開けて入ってきたのは英臣だった。
学生鞄を肩からぶるさげ、両手にはスーパーのビニール袋を抱えている。
そんな英臣を嬉々としてお出迎えしたのはうてなで、今までお絵描きでもしていたのか片手にクレヨンを握り締めていた。
その後ろから義政がひょこりと出てきた。
執筆中だったのか作業着と称している甚平を身に纏っていた。


「おっ、英臣早かったな」
「うん、今日は比較的早く委員会の仕事が終わったから
 はい、これ閉まって」
「了解」


英臣は抱えていた袋を義政に手渡すと靴を脱ぎ、家の中に入った。
リビングに入ると英臣は当番表を確認する。
これには家の中の仕事を誰が担当するのかを記載してあった。
今日の日付を確認するとそこには『晩飯→英臣』とある。
つまり今日の夕食を作るのは英臣ということだ。

「今日の食事当番は・・・俺だね」
「あっ、冷蔵庫に左京が作ってくれたおかずがあったな」


そう言って義政は冷蔵庫から皿を一枚取り出した。
するとうてながちょこちょこと走りよってきて、義政の手の中にあるものを確認しようとする。
それに気づいた義政がラップの端を少しだけはずして中身を見せてやると、うてなは嬉しそうに微笑んだ。


「マッシュポテトだ!」
「そうだぞ、うてなの大好物だ!」
「うん!」
「そう言えば和馬と誠哉からメールがあって2人ともご飯いらないって言ってたな・・・」
「じゃあ、あとは味噌汁とおかずもう一品作ったら飯にするか?
 確かご飯は冷凍してあったのが残ってるし」
「うてなてつだうー」
「よぉしうてな、それじゃあお手々洗って来ような」


元気良く手を挙げたうてなを抱えあげると、義政は洗面所へ向かった。
その姿はさながら若いお父さんと娘のようである。
実際年齢的にはそうであっても全くおかしくないのだが。
でもこんな事を口にしたら左京ちゃんにも義政にも怒られるな、などと考えながら英臣はうてなのためにもやしを出しておく。
羽山家の場合、もやしも立派な味噌汁の具になる。
もやしをごま油で炒めてから味噌汁の具にするとこれがなかなか美味しかったりするのだ。
だが本音はといえば、うてな一人に任せられる数少ないお手伝いの一つがもやしのひげとりというだけ。
折角やる気になったうてなの行為を無碍にするのは可哀想だし、
丁度よくもやしもあるのだから、うてなのためにもやしを用意するのが得策だと英臣は考えたのである。
もやしをさっと洗いボールに移して置いたところで、うてなが勢い良くこちらの方へ駆け戻ってきた。


「臣にぃ、なにすればいい?」


小首を傾げながら訊ねる妹に黙ってもやしの入ったボールを渡す。
すると途端にうてなの顔色がぱぁっと明るくなって、そして小鳥のさえずりかと思うくらいの速さで話し始めた。


「もやしのおみそしる?!」
「そっ」
「わぁい、うてな大好き!」
「じゃぁ、何するかわかるよね?」
「うん、もやしのあたまとひげとるのー!」
「よし、それじゃあ任務開始」
「ラジャー!」


細い腕で敬礼をするとうてなは椅子に座ってもくもくとその作業を開始した。
その様子を腕を組んで見ていた義政が感心したような目で英臣を見つめている。


「お前いい奥さんになれるよ・・・」
「全く嬉しくないし・・・
 義政、味噌出しておいて」


義政の間抜けな発言は無視して、英臣は黙々と食事を作り始めた。
義政も 「酷いなー、褒めたのに」 などと呟きながらも、冷蔵庫から味噌を取り出し英臣に手渡すと義政自身も料理を手伝う。
多分彼が作っているのは、お得意の野菜炒めだろう。
野菜を刻む小気味良い音が台所に響き渡った。
暫くして、何かを思いついたように義政がぼそりと呟いた。


「にしてもさ、何で俺の弟君たちは一度として『お兄ちゃん』という単語で呼んでくれたことがないのかねー?」


義政の言葉を受け、英臣は一瞬驚きに目を見開いた。
が、すぐにその瞳が心なしか悲しげなものに変わった。
しかし英臣はそれを義政に気づかれないよう、なるべく平静を装いながら答えた。


「俺達の育ちのせいじゃないか?
 だってさ、流石の俺もこの家に来たばっかりの頃は、
 自分に血の繋がった兄貴が3人もいるって言われても受け入れられなかったし」


そういうと、英臣はコンロのにかけた鍋の具合を確認する。
その手が僅かに震えていることを、英臣本人は気づかない。
それを横目で眺めながら、義政も腕を動かした。
失敗した、と内心毒づきながら。
やはり、まだこの話題を英臣の前で取り上げるのは早かったらしい。
実を言うと羽山家の面々は、母親が全員違う。
所謂、異母兄弟というやつだ。
故に彼らは小さな頃から共に育った仲というわけではない。
お兄ちゃん、という単語がどの弟達からも出てこないのはそこに原因の一つがあるのだろう。
そんなことを頭の片隅で考えながらも、義政は少しだけ眉を潜めて頷いてみせた。


「あー、そうかもなぁ・・・」
「まぁいいじゃん、うてなはちゃんと政にぃって呼んでくれるんだから」
「そんなもんかねー」
「臣にぃ、おわったー」


丁度その時うてながもやしの入ったボールを抱えて台所に戻ってきた。
英臣はうてなからボールを受け取ると味噌汁を作る準備にかかる。
それを合図に、義政との会話も途切れ、暫くすると、
お腹をくすぐる美味しそうな匂いが羽山家を包み込んだ。
とりあえず、美味しいご飯を戴きましょう。
大丈夫、嫌なことなんて全て吹き飛ぶだろうから。










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後書き

重要な事実が判明しました。
ちなみにもやしの味噌汁は我が家のメニューです。
うまいです、お試しあれ。